魂は自らのアイデアを実現することの面白さを知っている。 その1

最近のカウンセリングで魂と肉体と心のバランスの話をすることがとても多い。

カウンセリングはいつも「何かしらのキャンペーンでもあるのかしら?」
と思うくらいに、その時期にお会いする方々と同じようなテーマで話すことがある。

でも今回のキャンペーンはかなり大掛かりだと思うくらいに
長いしエネルギーも強く感じる。

魂と心の違いなんて日頃意識することってありますか?
私はあまりなかったです。笑

その違いとは?

魂が肉体に宿らないと生命の鼓動は拍動しない。
肉体をこの地球上で持つこと。
それは動物としてこの世で生きるということ。
そしてそれは動物としての本能である3大欲求に支配されるということ。

それは筋肉養成ギプスのように、時には魂を鍛えるための負荷になっている。
その負荷を負った状態での精神(スピリット)を心と呼んだりするのではないか?
今の私の中ではそう定義している。

肉体を維持するために、食事をして、眠ることが必要になる。
より良い遺伝子を残すために、綺麗な羽を持ったり、美しい声で鳴くように。
他の誰かとは違った特別なものを持ちたくなる。
それは知能や美貌、ステータスや権力なんかもそうなんだと思う。
そしてその心のあり方でその時の目の前で起こった誰かの言動や行動などの情報や、新たに得る知識などの受け取り方が変わる。
以前にもブログに書いたように、液体のように繊細で、そこにあらゆる生理現象や、時には嫉妬や見栄や、意地やなんかで揺らぐものだから、そりゃ「女心と秋の空」なんて言われてしまうのも無理はない。ただ女だけで括られるのは解せないと思う時もあるけど、それくらい女って生き物は可愛いのよということでよしとする。笑

誰かと比べたり、優れていたいと望むようになることそのものは、
成長していく上でとても大事な要素で、それがあるからこそあらゆる動物は進化していくし、種を残していくことができる。

ただ、ややこしいのはそれが何か具体的な数値化されたもので推し量ろうとすること。 それに囚われ過ぎてしまうことがあるということなのではないかと思う。

年齢だったり、年収だったり、偏差値だったり、もちろんそれは努力して勝ち得たりするような素晴らしいものでもある。
ただ、それに囚われ過ぎて、誰かを出し抜いたり、差し伸べる手を止めたり、誰かと比べては絶望してしまったりすることがある。
もちろん動物なんで競争もあるから、それも必要なことではあると思う。
そして自らを騙したりごまかしてることが大いにあり得る。
いつの間にか魂と心に大きなズレが生まれる。

そこで苦しんでいる人の話を聞くことが多いのです。

そしてその人たちはとても真面目で一生懸命であることが多いように思います。

次回に続きます。