魂は自らのアイデアを実現することの面白さを知っている。 その2

この話をいろんな方々にしていく中で、私の言うところの、

「魂と肉体と心」と言うワードがしっくりこなくて、

「心と身体と頭」の方がしっくりくる人もいる。

確かに、魂って日常のなかで意識なんてしないかも。

私の日常が何だかちょっとズレてるところが多いにあるので、ぜひともしっくりくるものに置き換えていただきたい。

そしてどう置き換えたか教えてください。「なるほど!」ってなったり、 「そうきたか~!」ってなったりより細かく感じ取れるようになると思う。

言葉自体が、それぞれの認識の中のアイコンでしかなくて、よくよく感じ取ってみると確かに「魂って」とか「心って」不定形なものの感覚を掘り下げられるきっかけにもなる。

難しいですよね。形のあるものならともかく、

「幸せ」とか「恋」とか、それこそ「心」とか、形にならないものは必ずしもみんな同じように感じてるとは限らない。そこが面白くもあるけど。

でも、それぞれに形を求めてしまう。

もちろんそれぞれの幸せがあって、仕事だったり結婚だったり遊びだったり何だっていいし、自分が幸せだと感じることができればそれが最高。

だけどもまだ手にしてないと感じたり、今一瞬を生きてる私たちに、一生みたいなこれからの何十年の中で作る幸せみたいなことを考えると、何かしらとの比較が生まれてしまいがちで、それは何か(例えば両親とか)サンプルみたいなものや、昔からこうあるものみたいな固定された観念のなかに求めたりする。

〇〇歳なのに未婚、とか〇〇歳なのに就職が、とか収入が、とか「ありたい姿」よりも 求められる「あるべき姿」であろうとする。       

真面目であればあるほどに、それは深刻でそんな姿になれない自分がダメだと嘆いて  どんどん沈んでしまうように見える。

「あるべき姿」みたいな形を理想として頭で考え始めたときに、魂と心あるいは。心と頭のズレが始まってしまうことがある。

また続きます。