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週末ふと思ったこと

電車の車窓から振り返る景色は、
進行方向に向かう景色より早く流れる様に感じる。

同じ速度のはずなのに不思議なことだ。

それはあっという間に過ぎ去ってしまう時を振り返る様だ。

そして過去はそのリアルタイムよりも輝いて見える様に思う。

旅先でなんとなく買ったものが、家に帰った瞬間に輝き出すのに似てる。

時が経ってもなお色褪せない過去というのは、
意外と壁にぶち当たったりした時のことだったりする。

そう思うと、「いいんじゃん、不安なんて先取りしなくてもさぁ」って思う。
予測できることなんてつまらない。

理想通りの未来の方に今を当てはめて生きようとすると
窮屈になってしまうのが勿体無い。

そんなことをふと思うこの週末だった。

納骨

昨年亡くなった愛犬の納骨をすべく写経をしている。

出来るだけ真っ直ぐな気持ちで、と懸命に取り組もうとするも

どうしても雑念が入る。

はぐらかすように、あえて気をそらせるように

歌詞のうるさい音楽を聴いてみたりしたくなる。

我が家にはもう一頭愛犬がいて、我が家に来て10ヶ月になる。

その子はその子でとても愛しい。

寂しさは紛れても、代わりになんかならない。

代わりになるなんてことあるはずもないんだな。

今ここに来て当たり前のこととして直面している。

寂しくてなんとなくぼやかして、

悲しくてなんとなくごまかしてきた気持ち。

写経してよかった。

理屈でなく身にしみてわかる。

寂しさも愛しさも。

そんな寂しさから浮き上がる様な愛する気持ちを孕んだ写経を

そのままに、小さく白くなってしまった愛しい亡骸とともに納めてこよう。

94歳

最年長の友人は、今年の2月に転倒し大腿骨を骨折。
一ヶ月入院したのち、そのまま施設にいた。
現在もリハビリは続けている。

本人は
「ご飯もしてくれはるし、なんもせんでええ。
なんでもまぁまぁ美味しいし、せやけどなぁ。
あんなとこおったらボケてまう。
こんなばあさんボケたら難儀やでぇ〜。
えらい迷惑な話や。だから逃げてきたってん」

といって、一人暮らしの家に舞い戻ってきた。

透明のガラスに豊かな水を湛えた雨雲を閉じ込めたような
美しいグレーの目のその奥には、まだまだエネルギッシュな光が見えて、

「確かにそれは酷なことやなぁ」と思った。

「息子にえらい怒られた。一人でおったら心配やっていうてな。
せやけど私、そんなとこおったら辛いねん。
どんどんボーッとしてしまう。そない言うたってん。」

もうすぐ70歳になろうとする息子さんの気持ちもわかる。

思って思われて、強いように見えても心配で。

側から見るとそのどちらもが愛しくて、でも切実な思いもわかるだけに
なんとも言えなくなってしまう。

そうやって少しずつ何かしらのきっかけがあって、歩み寄って、
一つの交わる点を生み出せる時がくればいいな。

いつか誰しもが迎えるその時も、優しい時間でありますように。

そう願ってやまない

今年の八月六日

プール登校の小学生男の子。

まだ蒸し暑い夕暮れに、
制服で友人と離れ際

「またね」「元気でね」

と、繰り返し振り返る。

角を曲がって姿が見えなくなるまで、

「またね、元気でね」

見えなくなった瞬間に
誰に言うでもなく

「さみし〜」

と、走り出した。

昨日一番胸キュンな出来事。

今日八月六日。
黙祷を捧げながら、こんな胸キュンを絶対守りたいと思いを新たにしています。

ささやかな成長や、笑顔を見て「幸せ」だと感じられるような、
感激できるような連鎖をずっとずっと守りたい。

きっと昨日の少年も、いつかの未来でそんな風なことを思う日が来るはずなんだ。

私の命がこの世を終えて、その先までもずっとずっと続いていきますように。

それが平和と言うのだろうと思うのです。

夢の話

最近面白い夢を見ます。

昨夜の夢のお話。

薄暗い建物の中から明るい緑の茂った外を静かに眺めている。

土間のようなところに椅子を置いて私は座っている。

首にはタオルをかけていて、木製のテーブルの上には冷えた麦茶の入ったグラスが置いてあり、左の肘をその手前に置いている。

でも私の視点は、明るい緑の中にある。

現実には知らない建物の中で、記憶にもない場所。

なんとなく南の方なのかな?というような植物の気配。

そしてドアの軋む「ギギギー」という音が響く。

「バタン」ということも、「ガチャリ」ということもなく、聞こえてくるのは

「ギギギー」だけ。

寝ながら私は「クレ556を挿してくれ〜」と思いながら、どこにあるか思いを巡らせる。

その所在は現実的な今住む家で、ここには無いことに気づく。

そこで目を覚ました。

まだ暗い時間。

寝付けず、本を読みながら程なく眠りに落ちたのだが、まだ軋む音がする。

そして、また目覚め、また本を読みながら眠りに落ちた。

そうやって朝を迎え、「クレ556」を買いに行かねばと思っていることに驚いた。

木のテーブルも、その土間のひんやりとした風も、ドアさえも夢の中で視野には入ることはなかった。それなのに形や匂いをイメージすることができる。

その姿も見せずに、軋む音だけでこんなにも脳内を支配されていることが、すでに恐怖でしかない。笑

脳って面白い。

内なる子ども

いろんな人の心の中には子どもが住んでいて、それはきっとその人の小さな頃から変わらない姿なのだろうと思う事がある。

80歳を超えたお年寄りでも、50代の社長さんでも、夢見る少年のような眼差しをするし、時には意地を張ってはいるものの、寂しさを背中に宿しているときもある。

もちろん女性でも同じように、そこかしこに垣間見る事がある。

自分に余裕があれば、抱きしめたり、手を取ったりしたくなる時もあるし、(現実にはしないけども)余裕がなければ、「勘弁してよ」なんて思う事もある。(言わないけれども)

そんな風に揺らぐ私こそが子どもだなぁと今日は思った。

どんな人の内なる子どもも、私自身の内なる子どもも愛でることのできる

子ども宿した大人になりたいな。

子どもの方がきっとまっすぐに抱きしめる事ができそうだ。

中二病

我が家の娘があまりにも見事な中二病で、

最近は学校から帰ると意味もなく泣き叫んだりする事もある。

理由みたいなものもその時々でちゃんとあるようだが、

一貫して要約すると

「いろんな事を知れば知るほどに生きづらい。これ以上大きくなりたくない」ということらしい。

成長の上で、様々に身の上に起こる変化が落ち着かなくて不安になったりするのがこんなにも如実なのかと美しくさえ感じる。

同じような未完成のエネルギーの塊がクラスには30人以上もいて、

部活でも委員会でも何かしらの役割を担ったりしながら

いろんな人と一緒に何時間も過ごしていろんな取り組みもするんだから、

ぶつかったり、拗れたりしても全く不思議ではない。

「こんなにきれいな中二病は見たことないよ」と膝に抱く。

理由にならない、自分の辛ささえも泣いてあらわす事ができる。

一生懸命さに感動して涙しそうになる。

もちろん歌いながら帰ってくる事も、

帰ってすぐに友達に会うためにどんな服が良いかと、

ファッションショーを始める事もある。

動物として綺麗だなといつも思う。

六月一日七十二候 麦秋至

ついに6月が始まってしまった。

早いもので、今年ももう半分を終えようとしている。

今日は(むぎのあきいたる)平安時代の暦では衣替えをする頃。

日に日に暑くなる季節のはずが、今年はすでに猛暑日があった。

旧暦との開きはあれどそれ以上に季節のズレを感じてしまう。

秋に行われていたはずの体育祭が、あまりもの暑さで最近は梅雨前に行われるところが増えた。

今日は、娘の母校に中学のPTAとして校長先生とともに来賓として列席した。

この辺りはここ数年急激な高層マンションの乱立で子どもが増え続けている。

今回の体育祭も、間借りした隣の小学校の校庭で行われていた。

どちらかというと、街中すぎてドーナツの穴の中だったような地域。

小学校は1クラスが当たり前だったのがここ数年で5倍ほどの生徒数になろうとしている。

落ち着いてしまうと、そのあとは続かないのも見えている。

子ども達が熱心に応援合戦を繰り広げているのを、目頭を熱くしながら見ていた。

少子化の今、子どもが溢れることがここではおこっていて、その子ども達はみんな元気で、大きな声でエールを叫びあっている。

この子達がみんな幸せな未来であって欲しい。

私のなりすましラインが出ています!ご注意を!!!

今朝、私のなりすましのラインがあることが発覚しました。
私の旧姓と実名を重ねて名乗り、使われている写真も私のラインで使用しているものを使われています。

今、私のラインで使っている名前はアルファベットのふざけた名前を使っていて、本当の名前は使用していません。

ラインの会社には被害報告出しました。

今のところ、私の耳には被害の報告はありませんが、
どうかこれからも被害がありませんように。

私の名前のラインは無視してください!!!

よろしくお願いいたします。

空気の層を抱く

あらゆる人とものごとと。

それぞれの間に大切だからこそ空気の層を抱きたい。

冷静に丁寧に眺めることのできるように。

冷静に丁寧に眺めることが叶えば、心穏やかに感じることができるでしょう?

心穏やかに感じることができれば、優しく思うことができるでしょう?

優しく思うことができれば、暖かい言葉を伝えられるでしょう?

暖かい言葉を伝えられたら、心の奥がホンワリと暖かくなるでしょう?

そしたら言う人も聞く人もみんな幸せになれるでしょう?

でも、楽しくて、興味があって、大好きになってどんどんひっついて行きたくなる。

もっと触れたくて、もっとたくさん一緒にいたくて、もっとわかりあいたくて、

「もっと、もっと」って、どんどん欲張ってしまう。

そして、わかってもらえない。そばにいると苦しい。って不満が出る。

結果、傷つけあってしまう。

はじめは大好きだったものが、傷つけて傷つけられて。

悲しみを与えて与えられてしまうものとなって、遠ざかることになる。

その寂しさも相まって、引きちぎられるように空気の層を抱く。

血の匂いがしそうなほど、痛々しくも分厚い空気の層を、

手放すことさえできずに力なく抱いている。

あらゆる人とものごとと。

大好きが、大好きのままでいるコツは空気の層を抱いておくこと。