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夢の話

最近面白い夢を見ます。

昨夜の夢のお話。

薄暗い建物の中から明るい緑の茂った外を静かに眺めている。

土間のようなところに椅子を置いて私は座っている。

首にはタオルをかけていて、木製のテーブルの上には冷えた麦茶の入ったグラスが置いてあり、左の肘をその手前に置いている。

でも私の視点は、明るい緑の中にある。

現実には知らない建物の中で、記憶にもない場所。

なんとなく南の方なのかな?というような植物の気配。

そしてドアの軋む「ギギギー」という音が響く。

「バタン」ということも、「ガチャリ」ということもなく、聞こえてくるのは

「ギギギー」だけ。

寝ながら私は「クレ556を挿してくれ〜」と思いながら、どこにあるか思いを巡らせる。

その所在は現実的な今住む家で、ここには無いことに気づく。

そこで目を覚ました。

まだ暗い時間。

寝付けず、本を読みながら程なく眠りに落ちたのだが、まだ軋む音がする。

そして、また目覚め、また本を読みながら眠りに落ちた。

そうやって朝を迎え、「クレ556」を買いに行かねばと思っていることに驚いた。

木のテーブルも、その土間のひんやりとした風も、ドアさえも夢の中で視野には入ることはなかった。それなのに形や匂いをイメージすることができる。

その姿も見せずに、軋む音だけでこんなにも脳内を支配されていることが、すでに恐怖でしかない。笑

脳って面白い。

内なる子ども

いろんな人の心の中には子どもが住んでいて、それはきっとその人の小さな頃から変わらない姿なのだろうと思う事がある。

80歳を超えたお年寄りでも、50代の社長さんでも、夢見る少年のような眼差しをするし、時には意地を張ってはいるものの、寂しさを背中に宿しているときもある。

もちろん女性でも同じように、そこかしこに垣間見る事がある。

自分に余裕があれば、抱きしめたり、手を取ったりしたくなる時もあるし、(現実にはしないけども)余裕がなければ、「勘弁してよ」なんて思う事もある。(言わないけれども)

そんな風に揺らぐ私こそが子どもだなぁと今日は思った。

どんな人の内なる子どもも、私自身の内なる子どもも愛でることのできる

子ども宿した大人になりたいな。

子どもの方がきっとまっすぐに抱きしめる事ができそうだ。

中二病

我が家の娘があまりにも見事な中二病で、

最近は学校から帰ると意味もなく泣き叫んだりする事もある。

理由みたいなものもその時々でちゃんとあるようだが、

一貫して要約すると

「いろんな事を知れば知るほどに生きづらい。これ以上大きくなりたくない」ということらしい。

成長の上で、様々に身の上に起こる変化が落ち着かなくて不安になったりするのがこんなにも如実なのかと美しくさえ感じる。

同じような未完成のエネルギーの塊がクラスには30人以上もいて、

部活でも委員会でも何かしらの役割を担ったりしながら

いろんな人と一緒に何時間も過ごしていろんな取り組みもするんだから、

ぶつかったり、拗れたりしても全く不思議ではない。

「こんなにきれいな中二病は見たことないよ」と膝に抱く。

理由にならない、自分の辛ささえも泣いてあらわす事ができる。

一生懸命さに感動して涙しそうになる。

もちろん歌いながら帰ってくる事も、

帰ってすぐに友達に会うためにどんな服が良いかと、

ファッションショーを始める事もある。

動物として綺麗だなといつも思う。

六月一日七十二候 麦秋至

ついに6月が始まってしまった。

早いもので、今年ももう半分を終えようとしている。

今日は(むぎのあきいたる)平安時代の暦では衣替えをする頃。

日に日に暑くなる季節のはずが、今年はすでに猛暑日があった。

旧暦との開きはあれどそれ以上に季節のズレを感じてしまう。

秋に行われていたはずの体育祭が、あまりもの暑さで最近は梅雨前に行われるところが増えた。

今日は、娘の母校に中学のPTAとして校長先生とともに来賓として列席した。

この辺りはここ数年急激な高層マンションの乱立で子どもが増え続けている。

今回の体育祭も、間借りした隣の小学校の校庭で行われていた。

どちらかというと、街中すぎてドーナツの穴の中だったような地域。

小学校は1クラスが当たり前だったのがここ数年で5倍ほどの生徒数になろうとしている。

落ち着いてしまうと、そのあとは続かないのも見えている。

子ども達が熱心に応援合戦を繰り広げているのを、目頭を熱くしながら見ていた。

少子化の今、子どもが溢れることがここではおこっていて、その子ども達はみんな元気で、大きな声でエールを叫びあっている。

この子達がみんな幸せな未来であって欲しい。

私のなりすましラインが出ています!ご注意を!!!

今朝、私のなりすましのラインがあることが発覚しました。
私の旧姓と実名を重ねて名乗り、使われている写真も私のラインで使用しているものを使われています。

今、私のラインで使っている名前はアルファベットのふざけた名前を使っていて、本当の名前は使用していません。

ラインの会社には被害報告出しました。

今のところ、私の耳には被害の報告はありませんが、
どうかこれからも被害がありませんように。

私の名前のラインは無視してください!!!

よろしくお願いいたします。

空気の層を抱く

あらゆる人とものごとと。

それぞれの間に大切だからこそ空気の層を抱きたい。

冷静に丁寧に眺めることのできるように。

冷静に丁寧に眺めることが叶えば、心穏やかに感じることができるでしょう?

心穏やかに感じることができれば、優しく思うことができるでしょう?

優しく思うことができれば、暖かい言葉を伝えられるでしょう?

暖かい言葉を伝えられたら、心の奥がホンワリと暖かくなるでしょう?

そしたら言う人も聞く人もみんな幸せになれるでしょう?

でも、楽しくて、興味があって、大好きになってどんどんひっついて行きたくなる。

もっと触れたくて、もっとたくさん一緒にいたくて、もっとわかりあいたくて、

「もっと、もっと」って、どんどん欲張ってしまう。

そして、わかってもらえない。そばにいると苦しい。って不満が出る。

結果、傷つけあってしまう。

はじめは大好きだったものが、傷つけて傷つけられて。

悲しみを与えて与えられてしまうものとなって、遠ざかることになる。

その寂しさも相まって、引きちぎられるように空気の層を抱く。

血の匂いがしそうなほど、痛々しくも分厚い空気の層を、

手放すことさえできずに力なく抱いている。

あらゆる人とものごとと。

大好きが、大好きのままでいるコツは空気の層を抱いておくこと。

小満

二十四節気 小満(しょうまん)

七十二候 蚕起食桑(かいこおきてくわをはむ)

立夏から小満へ。

冬から春へ。春から夏へ。

眠りから覚めて、「さぁ!これから」と本格的に活き活きと動き出す季節。

まさにお蚕さんたちは目を覚まして桑の葉を食べ始める。

今日はあるお坊さまと「不動心」について話していて、その難しさを思う。

「不動心」とは、単純に言うと「何にも揺るがない心」のことではあるけど、仏教用語だけにその深さは海のように大きくて深い。

そのあと外に出て歩きながら、山旅に出かけた後だからかこんなことを思っていた。

例えば私が植物の種だとして、鳥に運ばれ地に落ちたら、そこで親から授かったシェルターのように身を守ってくれた殻を破ることができるだろうか?

すぐに傷ついてしまいそうな柔らかい肌で、たちまち折れてしまいそうな小さな手を、まだ見たこともない世の中へと差し出して、本能に突き動かされながら、光と水を求めて生きていくことができるものなんだろうか?

落ちた場所や、環境や、雨風や、誰かの足にさえも脅かされることも恐れることもなくまっすぐ伸ばす手。

「不動心」があるとそれが叶う。

何者かにかき回されることなく、冷静でいられる。

生きることをためらわずに、自分の命を信じてまっすぐに、どんな環境でも手を伸ばす。

少なくとも、小満を迎えた今、柔らかい手を広げて伸びやかに育っている新しい命は、それを成し遂げているのだなと感激した。

可愛い命が、首が座り腰が坐り、つかまり立ちをして歩き始める。

そんな季節なのだと勝手に納得していた。

そして、そんな新しい命に励まされて山を登ったのはとても幸せな時間だった。

2019年5月6日 立夏 蛙初鳴(かわずはじめてなく)

暦の上では夏の始まり。

昨日は新月。

冬眠していた蛙が鳴き始める季節。

そして新元号。

気持ち新たにする機会の目白押しだが、気負えば気負うほど空回るのがわかっているので、「どうやって地に足をつけるか?」 を考えている。

その時点で既に考えすぎな気もする。

どうやっても、考えすぎてしまうきらいがある。

「今」というタイミングに何かしら「仕損じてしまう」ことを恐れている。

今回はそれを手放したい。

潔く。

何かしらを仕損じてしまったら、その時にすればいい。

そう思うべく、今を楽しみたい。

今なくしては、その瞬間を重ねる未来も、結果として今となるための過去も良いと思えるわけがない。

そのことに気づいてしまった。

騙されないぞ!今を楽しんでやるのだ!

「あなたが幸せだと私も幸せ」

平成が終わって令和になった。

二度目の改元を見てきて、船を乗り換えるようだと個人的には感じています。

今日は令和に入って初めての新月。

新月のスタート地点で満月に向け膨らんでいく月にあやかって、令和で膨らませたい思いを考えていたら、そこそこ緩くて(ここ大事)シンプル(これも大事)に続けられそうなものを見つけました。

「1日1笑を提供する」

目の前にいる人を誰でもいいから1日に1度笑顔にしたい。

そしたらきっと、まちがいなく私も笑っているので急に倍になるのです。

あなたが幸せだと私も幸せプロジェクト。

地味にスタートさせることをここに宣言します!

いつも読んでいただきありがとうございます。

もしどこかでお会いして、いつか一緒に笑えたら素敵ですね。

4月25日 七十二候 霜止出苗

霜止出苗(しもやみてなえいずる)

寒さが和らぎ苗が育ち始める頃。
苗は日本では特に稲の苗のこと。

七十二候には略本暦(日本)と宣明暦(中国)の暦があって
それぞれの季節感や、文化などの違いで響くところがちがっていて面白い。

二十四節気は古代中国から渡ってきてそのまま使われている。
5日ごとに移り変わっていく七十二候の名称は日本人に馴染むように何度か改訂されたらしい。

国がちがう、文化がちがう、言葉がちがう。
他にももっと色々ちがっても季節を感じて、それを言葉にして、
暦に記す気持ちは同じで、誰かと分かち合いたい気持ちも同じなんだと思うと
色々話してみたくなる。

もうすぐ田植えの季節だなぁ。
整然と植えられた苗が成長していく様子を見るのが好きだった。

次の候が始まる時は令和に変わって、そのまた次は立夏を迎える。
夏がそこまで来ている。