魂が喜んだり、面白いと感じるときはどんな時だと思いますか?
またどんな時が喜んでるな!楽しんでるな!と実感しますか?
私はとってもわかりやすく言えば、真っ白い新雪に足を踏み入れる時や、冷たい空気を吸い込んで肺の中で温められていく感じや、初めて聴いた音楽やダンスや映画を観ていきなり鳥肌が立ったり、涙がこぼれたり、波打ち際で服を着たまま冷たい海水に足を浸けるかつけないかでドキドキしたり、大きな虹を見たり、山の中でたくさんの生命の息吹を感じたり、そこにさす陽光の遍く照らす温かさに触れる時、あー喜んでるなって感じます。
書ききれないくらいきっと探せばありそうだけど、今は思いつかないなぁ。
ぜひ、探してみてください。良かったらコメントで教えてください。
なかなかみんな書き込んでくれないけど 笑
もちろん仕事の上でも、カウンセリングにお越しいただいた方から幸せな報告をいただいたり、以前お会いした時よりも明るい表情で再会できた時もフワッと軽くなったような、ほっこり温まるようなそんな幸せを感じます。
そういえば私の母なんかは昔、仕事であらゆる数字がピタッと整った時にとてもスッキリする!なんて言ってたことがありました。
仕事の上でもそんな喜びはありますね〜。
小さい子どもが水溜りでバシャバシャするような、初めて傘をさして歩くようなそんな時もきっとそうだったんだなって思います。
いつしか慣れてしまって、当たり前になってしまってそんなことは思わなくなったりするのですが、その先に新しいまた何かを見つけて、理屈より少しだけ先にやってくる、ワクワクするような、心地良いような、ちょっと嬉しいようなそんな感覚。
先にドキドキや鳥肌のように身体が反応するような。
それって感動っていうもの中でも透明度の高いものなのではないかしら?と思っています。
「新しい何か」は、経験値が高くなって馴染みの日常の中では、忙しさも手伝ってなかなか出会いにくくなってしまうのです。
それは、日常で使う筋肉とか肉体的なことに似ているなと、地味にリハビリのように丁寧な指導をトレーナーさんにしていただきながら、体を動かすことを週一でやり始めて6年目の私は感じています。
使わない筋肉はいつしか忘れてしまって、少し無器用になって、感覚を取り戻すのに時間を要したり、すごくよく使う筋肉はどんどん進化して特別なものになったりするみたいに。
物を作る人はいかにもそんな手の形をしているし、お医者さんも人に触れる柔らかい手だったりする。炎を見る人はそんな目をしているし、知識やセンスを使う人は目に見えないけど感覚や頭の中のどこかにストックされてる。それは仕事でも、ハマってる趣味でも、環境や役割によっても、様々な情報が経験と共に体のいたるところにファイリングされていく。
日常の暮らしの中で必要な衣食住においてのことも、職業じゃなくたって生活の中で費やした時間や労力に鍛えられたように進化している。
そんな心身を使ってほんの少しの「新しい何か」に出会うためのアイデアを実現してみてください。
世の中や、誰か、または自らのイメージする「あるべき姿」からほんの少し距離を置いて、
小さな冒険をしてみてください。
普段行かないようなところに行ったり、しないようなことをしてみたり。
日常使わない筋肉の感覚を取り戻すような、実は普段使わない自分に備わっている力を呼び覚ますような経験を時々取り入れてみてください。
新しい料理に挑戦でも、行ったことのない道を歩くでも、降りたことのない駅で降りて地図を見ずに歩くでも、普段書かない手紙を書くでも、初めての山に登るでもなんでもいいんです。
「そんなことしても無駄」とか、最近だと「不要不急」なんて言葉が出てきて、今は要らんやんとか、やらんでも死なへんし。とか、そうやって後回しにしているうちに、めんどくさいと思うようになって、やらなきゃならないことだけを、どうにかこなしているうちに、気力が枯れて行ってしまってるように見えます。
何がしたいかわからないんです。やりたいことなんてない。
老若男女問わずよく聞く言葉ですが、ちょっと騙されたと思って「不要不急」の楽しいことをやってみてください。そしてしばらく続けてみてほしいです。
実はそれ必要で早くやってほしいことです。
新しい発見、自分を楽しませるアイデアを試す時間を少しだけ持ってみる。
そうしていつもより透明な感動に出会えたら、魂と心と肉体とが近づいて少し心が自由になれる隙間ができて、息がしやすくなったり、よく眠れたりしたらいいなと思うのです。
そしてさらに、新しい視点や現実的なアイデアが生まれて、より未来を明るくするんじゃないかと思います。
新しい楽しい未来は、そんな隙間にいつの間にか芽生えるものだと思うのです。