もっとわがままでもええんやで

ねえお月様

私が子どもを生んで、いつ死ぬかもわからないような新しい命を守るのに夢中だった頃がありました。

昼夜問わず二、三時間おきに泣く赤子におむつか?ミルクか?暑いのか、寒いのか?
眠いのか?さみしいのか?あらゆる表現が全て泣くことで伝えられて、それをどう受け取るのが正解なのか、わからずに右往左往して、一緒に泣くような時もあったりで、今思うと「ちょっと病んでたんちゃうかな?」と思うくらい、視野の狭い世界でこの子の身が少しでも快適に健やかに保てることを願っていましたし、逆に損なわれることが恐怖でした。
もちろんやりがいも、楽しさも、面白さも、一生の中でぜひやって見たいことの一つだし、やりたくてやってることなんですけど。息が切れる時もあります。

これってきっと、たくさんのお母さんたちが体験してることだと思います。
自らの感情が深く他者(この場合は子どもですね)の感情とシンクロするようでもあり、
また真逆で、自らの感情と相反するところも出て来たりと、それは大きな振り子の端から端のような変化です。

子育てだけに限らず、仕事でも、恋愛でも、ありとあらゆる人間関係があって、暮らしを営む中で、人の心の振り子の振り幅は大きくも小さくも揺らいでいて、極端な白っぽいところから、極端に黒っぽいところへとその濃淡の中を行きつ戻りつしているように思います。強い光が差し込むところには、濃い影が生まれるように誰の感情にもその両方ある。

そんな大きな振り幅の後に、少しずつまた小さくなっていく時が訪れるのですが、
その瞬間自分がわからなくなる時があるのを感じて不安を抱く人がいます。
自分が何をやりたいのか?疲れてるのか疲れていないのにただ無気力なのか?

子どもは時間の経過とともに大きくなっていくし、何か大きな仕事や忙しい中の小さな緊張の連続はいつまでも続くわけでもないけれど、その時の怖さや一生懸命さがしばらくなごって手放せないような時もあります。

緊張や怖さが続いた時は、肩が凝るように気持ちも凝って固くなっているとイメージして、ゆっくりのんびりして、「血の巡り」や「気の巡り」を良くして「コリをほぐす」時間が必要な時です。

「それって、どうやったらほぐれるんですか?」「何をしたらいいですか?」
って、よく聞かれます。
何でもいいんだけども、心地いいなと思えるような簡単なこと。単純なこと。
それでいいんだけど、「例えばなんですか?」って質問されることも多いです。

その気持ちもとてもよくわかる。
自分の中のイマジネーションが小さく固まっちゃってる。
私もめっちゃあるあるなので、いろんな実験をしました。
山に行ったり、お参り行ったり、パンを焼いたり、手仕事したり・・・。
それぞれにすっきりするんだけども、お金や時間や労力やがかかって、毎日はできない。だんだんそれさえも億劫になる。
なので、犬の散歩に行くときに、何でもいいからちょっとでも心が動いたものを写真でインスタに記録するようになりました。私にとってインスタはリハビリ!笑
そうやって少しずつ自分を取り戻すように、四肢を大きく広げるように少しずつ「これヤダな」とか「キレイだな」とか「楽しいかも」と思えるようになって、感覚が言葉になるようになったら、それを書き出す。じゃないとすぐ忘れるので、1日にできたら3つカレンダーでも手帳でもスマホのメモでもなんでもいいから記録するんです。

私はそれを半年やりました。笑笑
インスタは毎日ではないですが、まだ続いてます。

忙しくしてないとダメなような、時間を無駄にしてはいけないような
なんかそんな縛りがどこかから染み込んで、自分の中にこびりついて、
知らず知らずしんどくなってる人がいたら「もっとわがままでもええんやで」と
自分自身に声をかけてほしいです。