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日常の足元にある平和 – cumulus

日常の足元にある平和

コロナの自粛で特別静かな天神祭宵宮の今日、毎年恒例の大阪市内北エリアの戦災の御供養の歩き遍路に出かけた。

私が勝手にやってることで、何かに参加するとか、専門家の指導でなんてこともなく
完全に自己満足なのだけど、ある時期から特定の場所や時間帯でざわついて落ちつかないことがあって、自然とそうするようになった。

例年は6月に歩くようにしているが、今年は遅くなってしまった。

大阪は1944年の年末から空襲を受けている。
6月には週に一度くらいの勢いで襲撃されていて、たくさんの方が亡くなっている。

77年前の今日、7月24日は大正の木津川や伊丹にあった飛行場や大阪陸軍造兵廠(京橋〜森ノ宮の間にアジア最大規模の軍事工場があった)などの広範囲を襲撃されているが、天気が悪くて視界不良のため途中で攻撃をやめ桑名へと目的地を変えたそうだ。この時森ノ宮駅が被災していてその写真はWikipediaでも見ることができる。

そしてまさに今日、吹田の工事現場で見つかった不発弾処理が行われた。

77年前に投下されたもので、アメリカ製の1トン爆弾だったと聞いて驚いた。
180センチで直径60センチ。めちゃ大きいやん。
半径300メートルを避難地域として2000人が避難し、162本の電車が運休したとネットニュースにあった。

そんなものが空から降ってきた時代。

毎年毎年ヒリヒリと渇き、怖さと逃避と、焦りと諦めと、
なんとも言えない感情。
怒りと悲しみと絶望とが入り混じった煙のように風に溶けて匂うような季節が来ては、
戦争について、空襲について近く感じてなんとも言えない思いを巡らせながら歩く。

場所場所で聞こえる音や、肉眼を介さずに見える情景を感じる。

実際歩いているのは、いつもと同じ大阪の町。
忙しそうに目的地に向かい動く人々。
あらゆる手段で動いている。

日常の当たり前の景色が、一瞬で吹っ飛ばされる恐怖がかすめる。
そんな中を私も歩いていく。

河川敷野球少年たちの元気なかけ声や歓声。
マンションの一角、ビニールプールではしゃぐ子どもたちの声。
生活の音。食器を洗う音、電子レンジや洗濯機のアラーム、誰かを呼ぶ声。
どんな音も、特別幸せに感じる。

大きなジェット音。見上げると飛行機が飛んでいる。
かなり頻繁に、プロペラ機のバタバタ言う音も含めて、いつになく大きな音に聞こえる。

こんなにも飛行機は頭上を飛んでいたのかと気づかされる。
そしてほんの一瞬だけいつになく反射的に心臓がヒヤッとする。

そんな思いをすることもなく、気づかないまま当たり前の日常を生きる人たち。

平和なんだな。しみじみそう思う。

大きな爆音で夜空に打ち上がる花火を綺麗だと見上げることができるってすごいことなんだよ。

大阪市内南エリアや京橋エリアを歩くこともある。

今の当たり前の日常は、平和という大きなベースの上に成り立っている。