imagine 一滴の自分


今までいろんな方とお話しさせていただきながら、
私の中にいつの間にか定着したイメージがある。

それは、人の魂が液体だと想像することで繋がり広がったイメージ。
朝露のように一つの滴のように想像する。

人はとても影響を受けやすくて、少しの音の波動や振動でもフルフル震える。
たまに「私のオーラの色は何色ですか?」なんて聞かれたりするときにも
私なりに感じることとしてお応えさせていただくが、
「単色ではないので気分が変われば色も変わります。」とお応えしている。

シャボン玉の表面のオーロラのように変わりゆく色。
その色の筋は、いきなりの青や赤ではなく青味を帯びたところから、
少しずつ明確な青へと変わっていくように、人の魂の一滴にも同じことが言える。
そしてそれらの色の移り変わりは、時間の経過と共に流動的だ。
傾向として、青味が現れやすい人、とか、黄色味が強い人など
それぞれの色味のキャラクターがあるようには見えるが、そこで固定されることはない。

筆洗で筆を洗うように、大きな力で圧倒的な強い色の筆を透明な水に差し込めば、
そこにある水はその筆の色の影響を受ける。
透明であれば透明なりの、白であれば白なりの変色。
黒であれば影響を受けづらくはなるが、筆洗の中の一滴だとするならそれなりの色味へと変わっていく。黒は光とも色とも馴染まないので滅多にお目にかからないけども。

例えばその筆洗は、学校であったり、地域であったり、親族だったりする。
それが都道府県や、国や世界へと大きなバケツに変わっていく。
たくさんの一滴が集まった水の塊は、本来容器に入ってるわけではないので、
宇宙に浮かんだ地球という大きな一滴になっていく。

その表面にもやはりシャボン玉の表面の色の筋が見て取れて、
その色味が極端に強くなって起こることが戦争であったりするのではないかなと思う。

それぞれの一滴の中にもある色味。
それが集まり、影響し合い大きなエリアやエネルギーの強さが集まった時に起こること。

その集まりはやはり単体で突然沸き起こる物でもなく、
時間や意図的なエネルギーの偏りでより色濃く現れる。

この土地にご縁をいただいてから、お酒を絶って聖天さんに百日通うことを
何度かやっていたことがある。
ある百日のうちの九十八日目にいただいたビジョン。
それも水滴だった。
葉っぱの上に丸くキラキラと満ちてゆく朝露の滴。

「充ち満ちて生まれ 歓び喜びて生きる 我が名 歓喜天なり」

誰もが満ちて生まれ、純粋で透明なキラキラの滴で生まれている。
だからこそ喜んで生きるのだ。
生きる意味や意義がわからないと言われることがあるけども
喜んで生きてそれで充分なんだと思う。
何かのためとか誰かのためというのは、その後の話で充分。

遠い国の戦争のニュースを見るたび、私の中の色味を見つめ直している。

自分の中で大きく広がる色味の傾向で、その一滴の大まかな色味の傾向が生まれるのなら
葉の上の朝露から生まれ落ちたときの透明な一滴を、一日の中のどこかで意識的に思い出せるような時間を持ちたい。そうやって今日も祈っている。

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二十歳までの未来の大人たちに、メールでですが無料でカウンセリングというか、文通的にお話しできたらいいなぁなんて思い描いています。

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あと、ライン相談もお断りしています。自分でメールの文章を打ちながら自分と対話して欲しいのです。他の誰でもなく自分自身で自分の声をまずは聞くところからやってみる機会になればいいなぁ。

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