あとがき
森の中は、この数年感じていた死の気配が、これからの生命と直結する場でありました。
ここ数年考えていたことが、なんとなくまとまって、落ち着いて年を越せそうです。
2020年はあと2日でおしまい。
今年何かを大きく失って、大きな喪失感に襲われていても必ず新しい何かが生まれてくる。
少し休憩して、だだっ広い心の奥に手を伸ばすために、ひらひら舞い落ちる花びらや、雲に隠れる月をボーッと眺めることも、電車で三十分移動して大好きな木に会いにいくことも、けして無駄ではない。
むしろとても大切なことを思い出させてくれるかもしれない。
大きな風をはらんだ2021年がたくさんの笑顔に満ちていますように。
思ってもいないところで、大きく背中を押されることも、思わぬ向かい風に遭うこともあるかもしれない。
凝ったクイズを解くように、その風をどう味方にするのか楽しみたいですね。
そのためには、空を見上げる余裕も、その発見を誰かと分かち合うのも、
2021年の今頃には何か面白いことが始まる糸口になってるかもしれない。
今年もありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。
良いお年をお迎えください。
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三つ目のお話
今年の10月にキノコ狩りに行きました。
北海道の森の中。
大ベテランの先達さんにご案内いただいて、熊の気配がする森の中。
80歳の先達さんは、街で見るよりも数倍大きく、そして若々しく雄々しく見えました。
大自然の中では、炎や刃物を持たない人はなんとも頼りない存在なんだと感じました。
熊の鼻息を遠くに、でもこの耳で聞いた時、腰に携えた刃物が、心の隙間を埋めてくれました。
森羅万象等しく生きるものたちと等しく生きるものとして、いつ他の命の糧となっても不思議ではない世界。
生きているということや、これからも生きていくというその意志は、自分以外の命に一瞬の迷いや怯んだ心は命取りになるかもしれない。その不安を拭い、生きるための行動を支えるお守りでありました。
散華のようにキラキラと舞う木の葉に祝福され、お天気雨で陽の光に舞う小雨の水の粒に多くの命を支えるたくさんの存在を思いました。
キノコは、朽ちて倒れた木の幹に、大きな枝に生えていました。
何十年も生きて、今は朽ちた木々は次世代の命の糧となり、温かい土壌となりました。
その脇にはこれからの命が様々に萌えていました。
なんとも誇らし気なこの世の去り方。
その姿の美しさ。
この地球に生まれて、森羅万象の中で生きる命は、どれも完全体だからこそ生命として存在している。
それが何よりの、この世に生きている存在として祝福されている証なのだと感じました。
大阪に帰ってきて、少しずつ薄れていくその祝福を忘れないように、時々はこのページに帰ってきて、丁寧に撫でて思い出そうと思います。
これから生まれ来る命も、彼方の世界でこれからスタートを切る人も、この世に今生きている人も、寿いで降り注ぐ散華の中にいる。
時々はふと思い出して、ボーッと木の葉が舞い降りるのを眺める時間があるといいな。
きっとその木は、遠くの木のことも知っている。
あの森の木ともつながっている。
二つ目のお話 腑に落ちる先 つづき その2
友人さんと彼は二人で遊んでいたのではなく、もう一人フーさん
という人もいて、その3人で遊んでいた。
友人さんの訃報を聞いたのも、葬儀に参列したのも彼とフーさんの二人でだった。
昔からずっと時間を共にして来た誰かと、思いを分かち合えるというのは大きな救いだと思う。
3人はいつもなんかどこかお互いに悪態をついてじゃれあってるようなところがあって、
それは仲がいいからなおのことなのだろうと思う。でもきっと彼はそれを認めないだろう。
私にも似たようなところがあるので、想像がつく。
友人さんの独特な茶化し方もひっくるめて、やはり類は友を呼んでいる。
彼とフーさんが友人さんを忍んで飲むというので、私も同席させてもらった。
それまでにも、彼は私のことをフーさんに話していてくれて、私が友人さんの言うことを伝えていると
一番実感していただいたのが「めちゃエロない?」の話だった。
彼もフーさんも、懐かしい話の合間合間に「あいつほんましょーもない。しょーもない事して。アホやで」
やるせなさも、悲しみも、愛のこもった悪態になる。
人の感情はとても額面通りには行かない。複雑怪奇なものだ。
それくらい、やはり深くて広い。
フーさんが「なんでやねん!お前なんでそんなアホな事してん」と大きな声で叫ぶように言ったその時
友人さんが「しゃーないやんけ!」と叫ぶように応えた。
それは、尋ねた側も応えた側も「なぜそんな方法をとらねばなかったのか?」に対してのやりとりだったように思う。
友人さんは数年前から難病を患っていた。
それゆえに生きる上で大変なことがあったんだろうとは想像できる。
でもそれは私の想像でしかない。
またフーさんが「しゃーないちゃうやん。アホか。ほんまに。」と力なく言った。
そして友人さんが「しゃーないやんけ」と力なく応えた。
それは、もうこの世に戻ることができないと言う圧倒的な事実の前に交わされた言葉だった。
人は自分自身を騙すことができる唯一の動物なのではないか?と思う。
それくらいに人は自らの感情を誤魔化すことがある。
その「大丈夫」は本当に大丈夫ですか?
その「大好き」「大嫌い」は本当にそうですか?
その「もうどうでもいい」は本当にそうですか?
その「最悪や」はほんまにそうですか?
友人さんの「しゃーないやんけ」は、落とすべき腑がないまま、宙に浮いたままでいる。
友人さんには、抱きしめることも抱きしめられることも、文句を言うことも、手を貸すことも、微笑みさえも届けることができない。
「ごめん。もう無理や。どないしよう」もし、そう言えてたら。
「あーもうしんどい。一緒に手伝って欲しい」と、心から言えたなら、
きっと一緒に考えて悩んでくれる人は、いたと思う。
そして、そこに携われた人の誇りになるような経験の種を生めたのかもしれない。
誰かの「どうしようもない」は、もしかしたら、その人を大切に思う誰かの伸び代を広げるかもしれない。
「しゃーないやんけ」を繰り返し、やさぐれる友人さんを
慈しみながら、あちらの世界で安らかで、幸せであること願う遺された人たちの叫びは
友人さんのこれからを明るく照らしていくと思う。
友人さんのご冥福を、冥土の世界での幸福を祈る。
「自らこの世を去った人は、地獄に堕ちますか?」
と聞かれることがある。
私の持つ答えは「いいえ」だ。
ただ、遺された人の心にこびりついた悲しみという貸しは
いつか向こうの世界で友人さん自身が幸せになって、ちゃんと返してくださいね。
あなた自身の悲しみが、たくさんの人を悲しませるように、
あなた自身の幸せは、たくさんの人の幸せを生むのですから。
あなたの心の真の喜びが咲き誇りますように。
二つ目のお話 腑に落ちる先 つづき その1
友人さんが亡くなって彼はその最後の場所に行くと言った。
それはとある公園。
夜に友人さんは一人でその目的を果たすために木立の中へと歩いていった。
奥さんとの思い出の品を持って。
この世での最期の友人さんはどんな景色を見て、どんな思いだったのだろう?
その気持ちに寄り添いたかったのか彼は夜にそこに向かうという。
私は一人で行かせるのが不安でついていくことにした。
友人さんの足跡を辿る。
広い公園で、街の灯が見える坂道をゆっくりと登り、何度も何度もその灯を振り返っている。
だんだんその灯が見えなくなる。それでも振り返り、振り返り。
そしてついに見えなくなった時、暗闇に視点を向けている。
その灯は友人さんを引き止めることはできなかったのだ。
まっすぐ暗闇へと歩いて入っていく。
私は、辿っていく中で、様々な別のものに肩を叩かれ、鳴き声や悲鳴を聞き、無念のアピールをする存在に耳鳴りがしていた。
「ごめん。これ以上は無理やわ。よう行かん」
そんな私のヘタレ宣言で、その日はそこまでだった。
後日、日中に行こうとリベンジを申し出た。
それでも一緒に来て良かったと思った。
そんな存在の気配を感じようが、感じまいが、そこにそれだけの何かがいるのは変わらない。
友人さんを思って、辛い気持ちのままその場に一人で向かわせることはとても危険なことだと思う。
後日、おそらくここであろうという場所を見つけた。
それまでに様々な思いを込めて写経をし、その場に手向けた。
その時、友人さんは嬉しかったのか、そんな気持ちに照れたのか、木のウロ(木の横に空いた隙間、穴)を指差し
「見て!めっちゃエロない?」とニヤニヤして来た。
私はちょっとイラッとし、大きくため息をついた。
「はぁ?なに茶化してんの?」と心で思って小さく舌打ちをした。
彼は、「どうしたん?」と聞いてくれたが、「なんでもない」ととりあえずお経をあげて、近隣のお寺さんにお参りして帰った。
彼は、まだ実感がなかったんだと思う。
葬儀に出ても、お骨を拾ってもそれでもまだピンとこないままのようだった。
そして、友人さんも。きっとまだピンと来ていない。
「なに辛気臭い顔してんねん」とでも言いたげだった。
それから一週間後くらいに、やっと彼に話した。
「友人さんな、お経あげにいった時、木のウロを指差して『めっちゃエロない?』って言うて来たん」
「そういうやつやねん!イラっとするやろ!それが友人さんやねん」
と、懐かしそうに、でも寂しそうに彼は笑った。
つづく
二つ目のお話 腑に落ちる先
今年の3月に私の大切な家族の古くからの友人が自らこの世を去った。
私自身も何度かお会いしたことがあって、それぞれ子どもが小さい頃には集まってバーベキューをしたこともある。
もう10年以上前のこと、亡くなった彼のところにはまだ二人目のお子さんが生まれていなかった。
コロナがじわじわと猛威を奮い始め、今年楽しみにしていた一つの仕事が消えたのと同時にその連絡があった。
その二つのことを同じ日の夜に聞きながら、バーベキューをした川沿いの緑と、賑やかな子どもたちの遊ぶ声を思い出していた。
私でさえもショックだった。
それなのに旧知の友人を喪った彼のショックはどれほどのものだろう?
想像もつかない。
自らこの世を去る方に亡くなってから話を聞くことが、今までも何度もあって
その度にご遺族の方と亡くなられた方との視点の違いを知る。
突然大切な人を喪うだけでも辛いのに、自ら選んだのだと知ったときのその気持ちは如何ばかりか。
その衝撃の中、その視点の違いはご遺族の方をさらに落胆させることもある。
そして時には「なんでやねんもう〜あんたらしいなぁ〜。ほんまアホやで〜。」と言いながら力なく笑顔になることもある。
幸いにも私が今まで立ち会った時にはそのどちらにも、愛情が満ちていた。
自ら選んで亡くなった。
それは結果としてこの世界に残る絶対的な事実なのだけれど、彼方では少し違うことがある。
やっと成し遂げたと思う人もいる。
なぜここにいるのかが飲み込めてない人もいれば、まだ生きてると思っている人さえいる。
信じられないくらい、多岐に渡っている。
それは、人が持つ思念の広さを表しているのではないかと思う。
しかも日常に追われて、自分自身の思考が今どんな風であるか?でさえ漠然としている。
人の心の中の世界は、深く広い海のようで、時々海面に浮かび上がるものが感情や考えてることの全てではない。
少し潜ると、異なる思いが手にとれる時がある。
そのことを伝えたい。
その思いから、私の家族には了承を得て、彼の友人の自死について書いてみたいと思う。
つづく
一つ目のお話 つづき
「もう無理やわ」
「こんなまんまで、生きててもしょうがない。」
そんな言葉を、何十回、何百回聞いただろう?
はじめは、15年ほど前になるだろうか?
当初は時間が許せば、その方の元に訪れたり、一緒に参拝に連れ出したりしていた。
それでも続いて、時には「それが本当にあなたの望みなら、私はもう止めない。」なんて強気なことをハラハラしながら言ったこともあった。
そういったこの世を儚むスタイルは、ときどきうっとりとヒロインな気分に酔えたりするのだろうか?と思えたり、その奥を知るきっかけにもなった。
でも繰り返し、そう言う言葉を吐き、私に投げかけ続けるその方の言霊は、本人の言葉に上がった望みを叶えようとするかの如く、少しずつ体調に現れ始めた。
そしてその方は、「○にたい」と言わなくなった。
そして、そのことの代わりに違う内容の不平を頻繁にさらに強く口にするようになった。
私は、怖くなった。良かれと思って聞き続けたことを後悔し始めていた。
人との距離は難しい。
また同じように受け止め続けると、またその言霊は川の石が水に削られていくように、ゆっくりと叶えていくだろう。
そして、何よりも前書きに書いたような時期と重なっているのが怖かった。
この世とあの世の端境に空いた大きな口にすっぽりと落ちてしまうのではないか?
その穴に最も近く引っ張られるような気がして、とても怖くなってしまった。
言霊は川の水。硬い石さえも形を変えてしまえる力を持っている。
私も昔はよく文句を言っていた。
今でも多少の愚痴はもちろんあるけど、
言霊は川の水だと思っているので、めっちゃ吐き出したい時は仲良しの大きな木に聞いてもらいに行きます。(もちろん、周りの方々を心配にさせないようには気を使います。笑)
私より遥かに長寿のその木は何もかもお見通しのような気がして、フラットな自分が丸見えで恥ずかしいほどになる。
帰りは大体反省会です。笑
そしてやるべきことが見えてスッキリします。
あなたは「幸せになりたい人」ですか?
それとも「幸せになる人」ですか?
思えばプロポーズってそう言うことなのかもね。
「幸せにします」って言葉を上げてしまう。
宣言してしまうんやもんね。
私がとても大事だなと感じている一つ目のお話でした。
一つ目のお話。雑貨屋時代からいろんな話を聞いてきました。
もちろん自分が愚痴を言う様な時もあります。笑(基本文句言いです。笑)
たくさん耳を傾ける中で、面白いことに気づいた。
結婚したいと嘆く人と、離婚したいと嘆く人。
就職したいと嘆く人と、もう仕事を辞めてしまいたい人。
人は求めるものが叶えばそこからは逆のベクトルに引っ張られ始める。
もちろんそれぞれに事情があって、その全部がそうじゃないですけどね。
中でも、悲しくて辛いのは、生きているその逆を望む人の話を聞く時。
「私そろそろもうええかなって思っています。」とか、もっとダイレクトに「もう○にたい。生きてることに疲れました。」と打ち明けられることがたまにある。
そして、そう打ち明けてくれる人は、だいたい大丈夫。
*私の経験からだけなので、それが絶対ではないことは知っていてください。
もしそんな話を聞いたら私はゆっくり聞きながら、その中に前書きに書いたような気配がないか?をガッツリと探り続けます。
なんとなく「そうしたい」と思う人は「そうする」人とは違う。
それはこの件だけに限らないと思う。
「〜する人」はもう決まっている。
本人の意志がしっかりと固まっている。だからあまり話さない。ただなんとなくその話をするなんてことはあまりないように思う。
「〜したい人」は固まっていない。
だからつい話すんです。愚痴る。いろんな人の話を聞きたくなる。
または、共感してくれるかを試す。
だから自然と、今同じような状況でも未来が変わってくるのです。
良くも、悪くも。
でもときどき、「私もう無理。この世にいる意味がわからない。」と言うようなことを頻繁に伝えてくる方がいる。
厳密には、いた。
数年前までは、年に一人か二人現れてそして気がすむとその時期が終わる。
夏の蝉の様。
この2、3年は一人もいない。
でも、実際に実行して彼岸に渡ってしまったご遺族さまからのお話が増えたのもこの、2、3年のことなのです。
そんな夏の蝉の様な方の中にかなり長期にわたって、「もう無理」と連絡をくれる人がいた。
今回はそのお話をします。
つづく
思いたって、今年のうちにまとめておきたいと思ったこと三つのお話。
まえがき
2017年後半からジワリと忍び寄る死の影というか、気配とも匂いとも言えそうな、
またそのどれでも無いものが私の周りに擦り寄ってきた。
今まではこんなに長きにわたってその気配が続くことはなかった。
あっても、ふと感じる程度だった。
こういったとき、誰かに助言を求めることも、ネットや本で情報を得ることもなかなかできないので、観察というか実験というか、感じるままに見つめている。
今ではやっとそうできるようになった。
明確でないそんな何かを孕んだ空気は、自分にとっても嫌なものなので、気の所為にする。
気づかない素振りをすればするほど、意識をせざるを得なかった。
この世とあの世の端境は、ふと目の前に大きな口を開けている。
叔父の死、愛犬の死、二人の少年の死、家族の友人の死。
私の身の上に起こったこと以外でも、いろんなお話を伺って行く中で確信する様なことを耳にし、時には目の前で起こってしまう。
ジワリジワリとその空気の中に包み込まれていたのを今やっと過ぎゆくこととして、冷静にみることができる様に思う。
そのためにサラッと振り返って大切だと思うことをまとめておきたいと思った。
COVID-19 新型コロナウィルスの蔓延した今年。目に見えないことから突然訪れる死を思う人が、あるいは直面することがあった人が多かったのではないだろうか?
少しでも早くそんな渦の力が和らぐよう祈るように、今年のうちにアウトプットしておきたい。
目に見えない世界と、この世界の間に立つからこそ見える。
大いなる教えを、少しでも多くの方と分かち合うことの重要性を感じ始めている。
とはいえ、カウンセリングでたくさんの方々の人生の断片を聞くことで得た学びは、かなり個人的なことも、繊細で柔らかく傷つきやすい事柄もたくさん含まれているので、そのことを元に再構築されたフィクションです。
「2021年はどんな年になるとおもいますか?」
本当に色々あった2020年も残すところ10日を切りました。
ここ数日「風の時代に入るそうですね?」
とか、「これからはどうなっていくんでしょう?」
とか、「2021年はどんな年になると思いますか?」
なんて聞かれることが増えて来たように思います。
占星術では、今日22日に木星と土星が水瓶座で会うことで起こる”グレートコンジャクション”から”風の時代”が始まると言われていますね。
私は占星術は専門外なので、あまり詳しくありません。
でも、占星術は好きです。大きな星空から様々なことを読み解くなんてすごい素敵ですよね。
そして今日から始まるとされる”風の時代”とは?
「風とは一体なんだろう?」と思いを巡らせてみました。
日本の神様で言うと風の神様の代表格はスサノオノミコトになります。
イザナギノミコトの目から生まれた、アマテラスオオミカミとツクヨミノミコトの弟分である
スサノオノミコトは鼻から生まれました。
アマテラスさまとツクヨミさまは目で見える太陽と月を司る神様。
太陽と月は決まったように動くので「25年の私の誕生日には月はここにある」とか決まった動きしかしないんです。
むしろだからこそ占星術や暦が生まれたんですよね。
ですが鼻から生まれたスサノオノミコトは息吹なので気流や海流を統べました。
とても読めない動きなんです。明日の風さえも完璧な動きはなかなか読めません。
かなり当たるようになった現代の天気予報でさえ、完璧に当てることはできません。
まさに今、未曾有の事態として世間を困らせているコロナウィルスは、飛沫感染します。
人の口や鼻から発する呼吸、呼気はまさに息吹。
そして人の流れ、はたまたその澱む場所など、水や気の流れと同じように読めません。
なのでスサノオノミコトは疫病さえも支配するとされました。
そして、流行などから経済の流れなども水や気の流れに擬えて表されますよね。
そういった動きの読めないものをしっかり読み解く術を学び表すものとして風水があります。
スサノオさまは中国に渡ると牛頭天王さまとお名前を変えて祀られています。風水の神様です。
つまり風は自由気まま。そして型に嵌まらないんです。
自由気ままとは、開放的なようでいてそうではありません。
地図を片手に知らない場所に放り出されるようなところがあります。
行先や、どんなところに立ち寄りたいかをもとに自分でルートを決めなければなりません。
なので、しっかりと自分自身の価値観やそれに基づいた判断能力が問われることにもなります。
そして目に見えない強い力。強い風も、複雑な海流も、流されるもの靡くものがあって初めてその強さを知りますが、それがなければなかなか見ることが難しいです。
今までが地の時代と言われて、物質的なこと、目に見えることの力が大きく働く時代から、目に見えないものへと移行するのでしばらくは個々に窮屈さを感じたり、追風を感じたりするかもしれません。
個人個人の価値観の違いから、その時の感じ方が異なって来るので一定の距離を置いて人と関わること。
その違いをも愛せるだけの心の余裕を持てるよう、自分の心のなわばりを充実させていけると良いかもしれません。
新たな価値観が生まれて、今までなかったものができて来ます。
そして今までの当たり前が、そうじゃなくなったりします。
風を帆にいっぱい受けてどんどん進んでいくのか、怖くて地に這いつくばって耐え忍ぶのか?
それも人それぞれです。
私は新しいことに挑戦したいなぁ。
色々と風通しの良い時代になって欲しいです。
2021年、私は大舞台の幕が開くような、入学式の前の日のようなそんなワクワク感があります。
楽しみだなぁ。
素敵な一年になりますように。
この一年、冥界へと旅立たれた方々の彼方の世界での幸福と発展を
心からお祈りします。
そして、この世界に生きる命の未来が力強く美しいものであることを祈ります。
宝石箱の宝石たちは何を思うのか
街はとても視界が狭くて窮屈で近視眼的になりがちだ。
あのきれいなビルで働く人は人に窮屈な思いをしていて
大きなカッコいいショーウィンドウのお店で働く人は
そのシステムに窮屈な思いをしていた。
月の観測は自転車で十五分走った先の公園でしかできなくて
お天気雨のどんなにきれいな太陽の下でも虹は見えない。
それでも、少し遠く離れてここを見ると、
もしかしたら私たちは虹の下にいるかもしれなくて、
少し距離を取ってみると、その窮屈な人やシステムは
ぼんやりした優しさに包まれていたのかも知れない。
街が明るすぎて星が見えない
月でさえもそう明るく感じない
距離を取ってこの街を見れば、夜景が美しい
宝石箱に見えるのだ。