グダグダのタネ

ねぇお月さま。

思えば、私が「なんで?」「どうして?」と考える、元々の癖は子どもの頃からありました。なんかきっと物事の捉え方がちょっとズレてて、「空気が読めない」とか
「君は社会不適合だ」とか、会社や学校にいる頃は誰かに言われることがありました。
そうなんですよね。何がどう違うのかがわからなかった。若い頃は、みんなと同じようにできてるつもりだったけど、そうではなかった。今でもあまり上手ではありませんが、私の中にあることを伝えるときに、どうすれば届くのか?の方法論を、雑貨屋さんから始まって、そこから引き継いだ18年のカウンセリングの中で得たように思います。

それは、占い師としてなのか、カウンセラーとしてなのか?
私の見えるまま、感じるままに話すことを、聞きにきてくださる方に翻訳しながら届けるようなその中で培ったもののような気がします。
今思えば雑貨屋さんの時も、その作品の中に宿り感じるものを、私の感じるままに求める人に手渡すときに話してたように思います。

そうなんです。丁寧に作られたものの中には、作者のエネルギーがちゃんと入ってる。
明るいものも、暗いものも、必ず何かしらの「念」みたいなもの。
「念」というと怖がる方もいるかもしれないですが、私の中ではそれは「思い」であり、「愛」であり「優しさ」であり、「強さ」であったりさまざま感じるのです。
それらをひっくるめて「念」というのではないかな〜と思います。

私にとっての「スピリチュアル」はそんな日常の中で、あちこちにあるもので、特別なことというか、特殊なことではないのです。
でも、とても大事にしたいもの。嘘や誤魔化しができないもの。
木が木であるように、風が風であるように、火が火であるように、水が水であるように。
あなたがあなたであるように、私が私であるように。
そこにあるものは全て、何かしらの「気」をはらんでいて、それは誰かの「思い」によって変容していくもの。そんな当たり前のものなのです。