6月のある日、ある方を介して、大阪公立大学の野村恭代教授から
このようなメッセージをいただいた。
「今スピリチュアルな方にヒアリングをさせてもらっています。日本はあまりにもスピリチュアルな世界を否定する傾向にあるので、それを打開すべく研究をしています。研究としてヒアリングをさせていただきたいです。」
スピリチュアル。私の苦手な言葉。笑
元々雑貨屋だった私が、カウンセリングを仕事としてやらせていただくようになって
今年で18年になります。
その中でも、聞けば聞くほど苦手意識を持ってしまう記号のような言葉。
「スピリチュアル」なぜ苦手かって?
この言葉って「とても大きくて曖昧」に感じるからです。
そして、この言葉を似たような感覚で共有できるような使い方をされてる人に
あまり出会うことがないからです。
言葉ってその何かしらにかけられた呪い(まじない)というか、
記号のようなところがあって
ぼんやりとした共通の認識の中で成立していて、お互いの会話の中にそのニュアンスを必要として、口から出てくるわけであって、例えば「赤」という色の一つを表す言葉が誰にも同じ色の赤であるかどうかもわからないけども、色に関しては決してその大きな誤解まではいかない。
たまにおばあちゃまから聞くような「なんやあんたどないしたん?赤いベベ着て」の際、私が着ていた「桃の花みたいなピンク」のシャツも赤の範疇であったりすることのおおらかさは好き♡
でも今よく耳にする「スピリチュアル」の言葉にあるその大らかさが湛えた豊かな世界のなかには、モヤっと感じたり、大いに誤解を孕むような危うさや、気持ち悪さを感じるものも私の中にはあったりして、小さく反発していたり、逆にうんうんと微笑ましく頷いていたりするようなこともあったりと、ざわつくワードの一つなのです。
私は、誰に説明しても、し尽くせないようなそんな引っ掛かりをたくさん持っていて、
きっと理解されないからと、こうやって文字で表すこともなんだか億劫で、考えすぎて、
かまえすぎて「やっぱり苦手」だったんですが、野村先生と2回に分けて話した6時間以上の時間は、すっとその重さを拭ってくれるような、良い機会になりました。
そんなめんどくさい、「おもいめぐらせまくり」のグダグダもひっくるめて
小学校でやった「先生あのね」みたいに、コロナ前までたまに気が向くとやっていた
「お月さまとおしゃべり」として、もっと軽く書いてみようと思っています。
誰かに長い時間、私の中のざわつく「何か」について話を聞いてもらうことなど今まではなくて、「お話し会」みたいな質問を受けて答えていくようなことはあったにせよ、野村先生とのその時間はとても特別で、今までカウンセリングとして丁寧に打ち続けてきた点を、一つづつ繋いで線になったのを見たようなそんな時間となりました。点を線に繋ぐと方向が見えてきました。
これから、また「やっぱり・・・」ってなるかもしれないし、途切れ途切れになるかもしれないけど、脈絡もなく、お月さまに話しかけるようにここにお喋りしていこうと思います。
スピリチュアルがなんで苦手なのか?
何かしらにかけられた呪いのような言葉とは?など、少しずつ次からここに記します。
よろしくお願いします。