三つ目のお話

今年の10月にキノコ狩りに行きました。
北海道の森の中。
大ベテランの先達さんにご案内いただいて、熊の気配がする森の中。
80歳の先達さんは、街で見るよりも数倍大きく、そして若々しく雄々しく見えました。

大自然の中では、炎や刃物を持たない人はなんとも頼りない存在なんだと感じました。

熊の鼻息を遠くに、でもこの耳で聞いた時、腰に携えた刃物が、心の隙間を埋めてくれました。
森羅万象等しく生きるものたちと等しく生きるものとして、いつ他の命の糧となっても不思議ではない世界。
生きているということや、これからも生きていくというその意志は、自分以外の命に一瞬の迷いや怯んだ心は命取りになるかもしれない。その不安を拭い、生きるための行動を支えるお守りでありました。

散華のようにキラキラと舞う木の葉に祝福され、お天気雨で陽の光に舞う小雨の水の粒に多くの命を支えるたくさんの存在を思いました。

キノコは、朽ちて倒れた木の幹に、大きな枝に生えていました。
何十年も生きて、今は朽ちた木々は次世代の命の糧となり、温かい土壌となりました。
その脇にはこれからの命が様々に萌えていました。

なんとも誇らし気なこの世の去り方。
その姿の美しさ。

この地球に生まれて、森羅万象の中で生きる命は、どれも完全体だからこそ生命として存在している。
それが何よりの、この世に生きている存在として祝福されている証なのだと感じました。

大阪に帰ってきて、少しずつ薄れていくその祝福を忘れないように、時々はこのページに帰ってきて、丁寧に撫でて思い出そうと思います。

これから生まれ来る命も、彼方の世界でこれからスタートを切る人も、この世に今生きている人も、寿いで降り注ぐ散華の中にいる。

時々はふと思い出して、ボーッと木の葉が舞い降りるのを眺める時間があるといいな。

きっとその木は、遠くの木のことも知っている。

あの森の木ともつながっている。