「もう無理やわ」
「こんなまんまで、生きててもしょうがない。」
そんな言葉を、何十回、何百回聞いただろう?
はじめは、15年ほど前になるだろうか?
当初は時間が許せば、その方の元に訪れたり、一緒に参拝に連れ出したりしていた。
それでも続いて、時には「それが本当にあなたの望みなら、私はもう止めない。」なんて強気なことをハラハラしながら言ったこともあった。
そういったこの世を儚むスタイルは、ときどきうっとりとヒロインな気分に酔えたりするのだろうか?と思えたり、その奥を知るきっかけにもなった。
でも繰り返し、そう言う言葉を吐き、私に投げかけ続けるその方の言霊は、本人の言葉に上がった望みを叶えようとするかの如く、少しずつ体調に現れ始めた。
そしてその方は、「○にたい」と言わなくなった。
そして、そのことの代わりに違う内容の不平を頻繁にさらに強く口にするようになった。
私は、怖くなった。良かれと思って聞き続けたことを後悔し始めていた。
人との距離は難しい。
また同じように受け止め続けると、またその言霊は川の石が水に削られていくように、ゆっくりと叶えていくだろう。
そして、何よりも前書きに書いたような時期と重なっているのが怖かった。
この世とあの世の端境に空いた大きな口にすっぽりと落ちてしまうのではないか?
その穴に最も近く引っ張られるような気がして、とても怖くなってしまった。
言霊は川の水。硬い石さえも形を変えてしまえる力を持っている。
私も昔はよく文句を言っていた。
今でも多少の愚痴はもちろんあるけど、
言霊は川の水だと思っているので、めっちゃ吐き出したい時は仲良しの大きな木に聞いてもらいに行きます。(もちろん、周りの方々を心配にさせないようには気を使います。笑)
私より遥かに長寿のその木は何もかもお見通しのような気がして、フラットな自分が丸見えで恥ずかしいほどになる。
帰りは大体反省会です。笑
そしてやるべきことが見えてスッキリします。
あなたは「幸せになりたい人」ですか?
それとも「幸せになる人」ですか?
思えばプロポーズってそう言うことなのかもね。
「幸せにします」って言葉を上げてしまう。
宣言してしまうんやもんね。
私がとても大事だなと感じている一つ目のお話でした。