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二つ目のお話 腑に落ちる先 – cumulus

二つ目のお話 腑に落ちる先

今年の3月に私の大切な家族の古くからの友人が自らこの世を去った。

私自身も何度かお会いしたことがあって、それぞれ子どもが小さい頃には集まってバーベキューをしたこともある。

もう10年以上前のこと、亡くなった彼のところにはまだ二人目のお子さんが生まれていなかった。

コロナがじわじわと猛威を奮い始め、今年楽しみにしていた一つの仕事が消えたのと同時にその連絡があった。

その二つのことを同じ日の夜に聞きながら、バーベキューをした川沿いの緑と、賑やかな子どもたちの遊ぶ声を思い出していた。

私でさえもショックだった。

それなのに旧知の友人を喪った彼のショックはどれほどのものだろう?

想像もつかない。

自らこの世を去る方に亡くなってから話を聞くことが、今までも何度もあって

その度にご遺族の方と亡くなられた方との視点の違いを知る。

突然大切な人を喪うだけでも辛いのに、自ら選んだのだと知ったときのその気持ちは如何ばかりか。

その衝撃の中、その視点の違いはご遺族の方をさらに落胆させることもある。

そして時には「なんでやねんもう〜あんたらしいなぁ〜。ほんまアホやで〜。」と言いながら力なく笑顔になることもある。

幸いにも私が今まで立ち会った時にはそのどちらにも、愛情が満ちていた。

自ら選んで亡くなった。

それは結果としてこの世界に残る絶対的な事実なのだけれど、彼方では少し違うことがある。

やっと成し遂げたと思う人もいる。

なぜここにいるのかが飲み込めてない人もいれば、まだ生きてると思っている人さえいる。

信じられないくらい、多岐に渡っている。

それは、人が持つ思念の広さを表しているのではないかと思う。

しかも日常に追われて、自分自身の思考が今どんな風であるか?でさえ漠然としている。

人の心の中の世界は、深く広い海のようで、時々海面に浮かび上がるものが感情や考えてることの全てではない。

少し潜ると、異なる思いが手にとれる時がある。

そのことを伝えたい。

その思いから、私の家族には了承を得て、彼の友人の自死について書いてみたいと思う。

                           つづく