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一つ目のお話。雑貨屋時代からいろんな話を聞いてきました。 – cumulus

一つ目のお話。雑貨屋時代からいろんな話を聞いてきました。

もちろん自分が愚痴を言う様な時もあります。笑(基本文句言いです。笑)

たくさん耳を傾ける中で、面白いことに気づいた。

結婚したいと嘆く人と、離婚したいと嘆く人。
就職したいと嘆く人と、もう仕事を辞めてしまいたい人。

人は求めるものが叶えばそこからは逆のベクトルに引っ張られ始める。
もちろんそれぞれに事情があって、その全部がそうじゃないですけどね。

中でも、悲しくて辛いのは、生きているその逆を望む人の話を聞く時。
「私そろそろもうええかなって思っています。」とか、もっとダイレクトに「もう○にたい。生きてることに疲れました。」と打ち明けられることがたまにある。
そして、そう打ち明けてくれる人は、だいたい大丈夫。
*私の経験からだけなので、それが絶対ではないことは知っていてください。
もしそんな話を聞いたら私はゆっくり聞きながら、その中に前書きに書いたような気配がないか?をガッツリと探り続けます。

なんとなく「そうしたい」と思う人は「そうする」人とは違う。

それはこの件だけに限らないと思う。

「〜する人」はもう決まっている。
本人の意志がしっかりと固まっている。だからあまり話さない。ただなんとなくその話をするなんてことはあまりないように思う。

「〜したい人」は固まっていない。
だからつい話すんです。愚痴る。いろんな人の話を聞きたくなる。

または、共感してくれるかを試す。

だから自然と、今同じような状況でも未来が変わってくるのです。
良くも、悪くも。

でもときどき、「私もう無理。この世にいる意味がわからない。」と言うようなことを頻繁に伝えてくる方がいる。
厳密には、いた。

数年前までは、年に一人か二人現れてそして気がすむとその時期が終わる。
夏の蝉の様。

この2、3年は一人もいない。
でも、実際に実行して彼岸に渡ってしまったご遺族さまからのお話が増えたのもこの、2、3年のことなのです。


そんな夏の蝉の様な方の中にかなり長期にわたって、「もう無理」と連絡をくれる人がいた。
今回はそのお話をします。 

                                    つづく