二十四節気 小満(しょうまん)
七十二候 蚕起食桑(かいこおきてくわをはむ)
立夏から小満へ。
冬から春へ。春から夏へ。
眠りから覚めて、「さぁ!これから」と本格的に活き活きと動き出す季節。
まさにお蚕さんたちは目を覚まして桑の葉を食べ始める。
今日はあるお坊さまと「不動心」について話していて、その難しさを思う。
「不動心」とは、単純に言うと「何にも揺るがない心」のことではあるけど、仏教用語だけにその深さは海のように大きくて深い。
そのあと外に出て歩きながら、山旅に出かけた後だからかこんなことを思っていた。
例えば私が植物の種だとして、鳥に運ばれ地に落ちたら、そこで親から授かったシェルターのように身を守ってくれた殻を破ることができるだろうか?
すぐに傷ついてしまいそうな柔らかい肌で、たちまち折れてしまいそうな小さな手を、まだ見たこともない世の中へと差し出して、本能に突き動かされながら、光と水を求めて生きていくことができるものなんだろうか?
落ちた場所や、環境や、雨風や、誰かの足にさえも脅かされることも恐れることもなくまっすぐ伸ばす手。
「不動心」があるとそれが叶う。
何者かにかき回されることなく、冷静でいられる。
生きることをためらわずに、自分の命を信じてまっすぐに、どんな環境でも手を伸ばす。
少なくとも、小満を迎えた今、柔らかい手を広げて伸びやかに育っている新しい命は、それを成し遂げているのだなと感激した。
可愛い命が、首が座り腰が坐り、つかまり立ちをして歩き始める。
そんな季節なのだと勝手に納得していた。
そして、そんな新しい命に励まされて山を登ったのはとても幸せな時間だった。