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沈丁花 – cumulus

沈丁花

沈丁花がとてもいい香りを放っていて、その香りに誘われるままに歩く。
香りを感じるたびにキョロキョロと香りの主を探すのだけどなかなか見つからなくて、パッと目があった時なんて運命さえ感じてしまう。
その動きは「不審だ」と思われるのに充分だ。

慌ただしく動き出す朝なので、私のように呑気な人はあんまりいない。
いたとしてもかなりの大先輩方。

お母さんが二人の幼子の手を引いて高層マンションのエントランスから出て来た。子どもたちはそれぞれの背中に保育園のものと思しきリュックを背負い、小さな巾着袋を手に持っている。
兄と思われる少年は大きな犬を恐れて、お母さんの足元に絡みつき、妹らしき少女は空を見上げ小さな手で飛行機を指差す。
お母さんは交通量の多い通りから小道へと左折してくる車と、それをかわすために急に方向転換をする自転車たちに神経を研ぎ澄ませ「しっかり前を向いて歩きなさい!」と、語気を強めて子どもたちの手をグイッと引き寄せる。
彼女の肩には大きなトートバッグと、革製の四角いショルダーバッグを持っている。

彼女が手にしているものは、どれもとても必要だし大切なもので、守りたいものなんだろうというのは想像するにたやすくて、
「何か持ちましょうか?」とか、「お手伝いしましょうか?」とか、とても言えない。
気持ちだけで、祈りだけで「ママ頑張って。今日も行ってらっしゃい。」と見送る。

大切なものに何者かもわからない人が関心を持つことはやはり怖い。
私もそう感じてしまう。それは、いつからなんだろうな。人が信用できない。怖い。と思う何かしらの気配は常に心の何処かに漂っていて、そのシーンごとに濃淡は違ってくる。特に子どもの手を引いている時などは、母性に由来する本能的な危機管理の能力が発動されたりするものだから、怖さはより濃密になりやすい。

そのことを私も知ってるからこそ、「ママ頑張って」って、「一人で抱えすぎないで」って思う。せめてこっそり祈ることは赦されたい。

沈丁花は、その高層マンションの下にたくさん植えられていて、吹き抜けるビル風の中優しく香っていた。その香りが、そのお母さんに届いているといいな。