啓蟄

三月六日 七十二候 蟄虫啓戸(すごもりむしとをひらく)
二十四節気では啓蟄。

単純に巣にこもっていた虫たちが、這い出てくるという意味かと思っていたら、
「自ら戸を啓いて出てくる」より能動的なアクションが入っているように思える。
暗いところに刺した日の光に誘われて……とかでなく、自ら光を求めて啓くのだ。

同じ「ひらく」でもそれぞれに意味合いは異なっていて、

・開く→   閉じたものをあける。「閉」の対。新しく始める。隔たりができる。
ほか、広く用いる。
・拓く → 未開の土地を切りひらく。今までなかったことを始める。
・啓く → 人の目をひらいて、わからないことを理解できるようにする。
・披く → 押しひらく。手紙や書物をひらいて読む。
ーー漢字ぺディアより引用ーー

その中でも、「啓」を使っている。
知っていたようで、よく見るとそうでもないな。アップデートする。

それって、「時が来たから動く」 というよりも、
「戸の中で何かしら目論んで、待ち望んでいたのではないか?」 とさえ思う。
すでに春の訪れを土の中から感じていたし、探してもいたと想像する。

「春」という字は、両手で日の光を集めるような象形文字。
「春」には、待ち望むゆえに、自ら手を伸ばすようなイメージがある。

それは虫たちが日の光に触発されることなく、内側から沸き起こって、ことの準備を始めるかのようだ。

内側から沸き起こる最初のの気持ちを大事にしたいな。

「意味」とか「意義」とかの前の発露を愛でていきたい。