念願の街中遍路に♬

先日。念願の街中遍路にでかけました。
とても行きたかったコース。
吹田の垂水神社さんから難波宮のお水を届けるコース。

孝徳天皇(ご在位645年~654年)の御代、
この地の領主である阿利真公(ありまのきみ…ご祭神である豊城入彦命の子孫)が、干ばつに苦しむ難波長柄豊碕宮に、懸け樋を作って垂水の水を送り、その功績をたたえられ、「垂水公」(たるみのきみ)の姓を賜り、垂水神社を創始しました。 このことは 『新撰姓氏録』の右京皇別の項に記載されております。
〜垂水神社さんHPご由緒より〜

なんとここの神社さんで湧き出るお水を難波長柄豊崎宮まで樋を使って送ったというのだ。しかもHPには明治時代まで残っていた懸け樋の後の写真まである。

そして私は、その水を吹田豊津の垂水神社さんから難波宮まで歩いて届けたいと思った。

調べてみると、前期難波宮、後期難波宮とあり、難波長柄豊崎宮は前期のようで、しかも長柄豊崎とありながら谷町四丁目の難波宮のあたりが前期も後期もお宮が有ったとされる場所なのだ。
豊崎にある豊崎宮(豊崎神社)ではないらしい。

吹田の垂水神社さんからは豊崎宮までは7キロ弱くらい。
難波宮までは12キロくらい。
たしかにどちらもほぼ真っ直ぐだ。
何となく知らんぷりできずに、垂水神社でお水をいただいて、豊崎宮でこの樹!と思う樹にお水を託す。そして、綱敷天神社、太融寺、堀川恵比寿、宝珠院さん、松之木神社、難波宮へと水を分けて数珠つなぎに参拝して回る。

静かな森に守られる垂水神社さんからどんどん歩いて、神崎川を越える。新大阪の人工的な大きな流れを越え、はるか生駒を見渡せる淀川を越える。
ますます人工的で、ついさっきまで広く感じた空が狭くなる。
そんな中にも自然は食らいつき、よりそっている。
アスファルトの隙間に。ビルの間の空に。
人の生きる場所が長い紙に描かれた絵の様に客観的に見える。
こんなのは初めてだ。
寺社仏閣にある大きな樹。囲まれた塀の中で伸びやかに生きている。
大川を越える。もうすぐだ。大阪城公園で整然とした樹々に出会う。
中央大通りを越えていよいよ難波宮。
大きな空がひろがる。
いにしえの宮城はとても大らかに待っていてくれた。
すべてのお水を大地に注ぐ。

やってみてよかった。
うまくいえないけれど、もっと樹が、空が、水が、
人が愛しくなった。
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