おすそわけ。

昨年末、年明けも差し迫った12/31夕方。
父から叔父が危篤だと連絡があった。

元日の元とかいてはじめと言う名の叔父。
私の結婚式の披露宴ではウィットに富んだかっこいい祝辞を披露してくれた叔父。
遠くで住んでいたので、身近な存在でこそなかったが私はおじさんが好きだった。

もしかしたらと思いながら祖父母の前で手を合わせ
「おじいちゃん、おばあちゃん。
もしかしたらおじさんがそちらに帰ってしまうかもしれない。
例えどの世にあろうともおじさん、おばさんそして従兄弟の前途が
幸せでありますように。」
と手をあわせ祈っていた。

すると、祖父がなんだか嬉しそうなのだ。
「元が帰ってくるというのか?」と、こりゃお銚子の一本でもつけて準備をしないと!
そんな空気だった。

叔父の知らせがある前から元日は出かける予定をしていたので、
家で待つよりは。。。と琵琶湖に初日の出を見にでかけ、その後たまたま見つけた比良山にのぼり楊梅の滝をみようと歩いていた。
雄滝に向かう山中。白い犬が私の視界の端にキチンと座った。
道案内の象徴として犬が現れる事がある。
まさにあちらの世界への道案内なのだと直感した。
叔父は他界する事にしたのだと思った。

叔父は他界した。1月1日午前10時だった。

葬儀は4日に行われた。
三が日を夜通し家族や友人、兄弟と過ごしてから見送られるなんて叔父らしいと思った。

こちらで悲しみに暮れるお葬式でも、あちらの世界では喜びごとであったりする。
生まれる様な感じだったり、里帰りの様な感じだったりすることがある。

ときどきあちらの世界を垣間見せていただくような体質?の私は
そういうことを口にすると、
世の中とのズレから悲しい目にあった事があったりしたので、
もちろん公言する様な事もなく、だまっている事が常だった。

この仕事を始めてからもなかなか言葉にはださない。
この世とのズレは事に寄っては本当に大きくて、
不謹慎だったり失礼だったりするからだ。

もちろん。今回のお葬式でもいつものごとく主人以外誰にも話さなかった。

ところが、そのお葬式で喪主である従兄弟が挨拶ではっきりとこう言ったのだ。
「自分の名前の通り、元日にかっこ良くあの世で生まれ変わると決めた親父は、
私の誇りです。」
「危篤になってからずっとそう思っていた。
あの世で誕生するんだから今日は目出度い日なんです。」

ビックリした。
誰かの死に立ち会うことは大きなギフト。広い世界を知り強くなれたりする。
こんな風に力強く挨拶した従兄弟が幸せになれないわけがないと思えた。

私も勇気をもらった。
時々見せていただく広く豊かな世界。
もっと話しても良いのかも知れない。
臆病だった私の背中をそうっと押してくれた。

それは、叔父からのギフトのお裾分けなのかもしれない。

ありがとう。おっちゃん。
おっちゃんの披露宴の挨拶忘れへんよ。
もしかしたら、いつかどこかで拝借するかも知れない(笑)

そして、おっちゃんおめでとう。